あなたは今どこで何をしていますか?この空の続く場所にいますか?〜

3月31日
あの日から1年を迎えました。
そう、三木鉄道が鉄道としての役目を終えたその日から。

駅舎はあの時と変わらない佇まいのまま、そこに建っています。

三木鉄道廃線になった後、代替バスが人々を運んでいます。

売却されなかった残りの車両は今でも車庫に入ったままです。

『あなたは今どこで何をしていますか?
    この空の続く場所にいますか?』

4月3日
樽見鉄道に電話。
「ハイモ295−617の明日の具体的な運行時間を教えて下さい」
ダイヤを教えてもらう。
「えーっと、つまりそれって早朝しか運行してないってことですか?」
「はい」
「その日の運行が終わった後、車両はどうされるのですか?」
「車庫に入ります」
「そうですか、ありがとうございましたorz」
愛知の某氏に電話。
「どうしよう、早朝しか運行してないって言われたお(つд`)在来線で最終運行時間に間に合うように行こうと思ったら前日のうちに京都か名古屋に出ておかないと間に合わないお(ノД`)」
「それだったら暇だし付き合ってやってもいいお(^ω^)」
と言うわけで、土曜のうちに名古屋入りし、早朝大垣に向かうことに決定。

4月4日
名古屋までの交通手段を考える。
ひかり早得→一番短時間で行ける方法。ただし、扱っている金券ショップが限られる。
近鉄特急→乗り換えなしで難波から名古屋まで一本。時間も値段も妥当。
18きっぷ→乗り換えはあるが、近鉄特急とあまり時間は変わらない。ただし、残り回数が少ないほど金券ショップでは割高になる。
近鉄株優→一番安い。ただし、時間も一番かかる。乗り換え必須。
結局、時間と値段の兼ね合いで近鉄特急に決定。
一旦、阪神で三宮から難波まで移動。
尼崎で乗り換えだったけど、向かいのホームだから迷わなくてすむし、ホント便利になったね。
難波で一旦改札を出て特急の指定を取るために窓口へ。
前のスイーツ(笑)がもったいぶっててイライラする。
発車2分前に発券が完了して何とか乗車。

はじめての近鉄特急なのです☆
JR西日本の新快速に乗り慣れている身としては特急のくせにノロノロ運転に感じましたが、乗り換えなしで行けるのは乗り換えオンチな身としては嬉しかったです。
新幹線並にド田舎を走り抜けていく風景を楽しみながら、名古屋へ到着。
名鉄が遅れているらしく、待ち人が来るまで暫く待つことに。

手書きのお知らせにちょっと感動。
普通の鉄道会社なら印刷だよねw
ふと待っている間にロリさんやらパンクさんを見かける。
あ、そっか。
近鉄の駅ってことは、近鉄パッセが近くなんだよね!
待ち人が来たところで近鉄パッセに向かいましたが、丁度8時過ぎで閉店したところでした。
そっか、駅に向かっていた人たちは皆帰りだったのか…orz
名古屋に来たと言うことで、夕食はやまちゃんへ。
何気に初やまちゃんだったりします。
コショウが効いてましたが、なかなか美味しかったです。
でも2人で4人前はちょっと多いと思ったんだな!
朝も早いと言うことで、熟睡し過ぎないように今夜の宿はネカフェです。
とか言いつつ、ネカフェに入って速攻パンヤとかどうよwと思ってみたり。
フラットブースが空いたら移動する予定だったのですが、結局空かなかったようでソファーブースにて就寝。

4月5日
朝食はマクドでメガホットドッグ。

日曜の朝のせいか、名古屋駅前は人でいっぱいでした。
朝食も終えて、準備は完了。

いま、会いにゆきます

某氏から譲り受けし18きっぷを持って

いざ出発です。
「ところで、その三木鉄道から譲り受けた車両の運行ダイヤの最終は8時12分で合ってるん?」
「うん、金曜日に電話して明日の運行ダイヤを教えて下さいって言ったときのでは、8時12分がラストだったんだお(^ω^)」
「それって昨日のダイヤってことでしょう?同じ土休日ダイヤでも使う車両って変わったりするんよ(^ω^)」
「な、なんだってー!(AA略
丁度今の樽見鉄道は薄墨桜を見る客でごったがえすシーズン(そのため特別ダイヤで運行CHU)。
ちなみに、ハイモ295−617(旧ミキ300−105)は樽見鉄道初のセミクロスシート
他の車両に比べたら、乗られる人数が限られるってことです。
もし、今日の運行が終わっていたらどうしよう…。
そんな不安を抱えつつ、大垣駅へ。
樽見鉄道のホームに着くと、やっぱり違うハイモたんがorz
1日乗車券を購入し、僅かな望みを託して車庫があるらしい本巣駅へ。
下車して道路から車庫が見える所に向かうと、そこには見慣れた車両が。

あああああ!!!!!ミキ300−105たぁぁぁぁぁん!!!!!(ノД`)
車庫に入ってると言うことは、やっぱり今日の運行は終わりなのですか?(つд`)
でもよく見たら別の車両と連結されている。
某氏が敷地内に居た人に聞くと、今日の運行はまだで、これから運行するとのこと。
大垣駅から本巣駅までは一両で、本巣駅からは連結して走るとのこと。
一瞬、ここまで来て車両に乗れないで帰るのかと目の前が真っ暗になりかけたけど、僅かな望みを託してここまで来て良かった!
ってか、今日の正確な運行時間を昨日のうちに聞いておけば、今日早起きする時間なかったんじゃんorz(←テラ寝不足)
取り敢えず、お目当ての車両の運行時間まで時間を潰すことに。

樽見鉄道では枕木オーナーを募っており、枕木にはそれぞれ寄付をした人の名前と日付が入っています。

線路に咲く花って何だかいいね(*´▽`*)
暇つぶしがてら谷汲口駅で撮影してみたりとか。

カメラマンさんが撮影してらして、「撮っていい?」といわれて撮って頂いた写真が素晴らしかったので、某氏に同じように撮らせたのですが、

ちょっとイマイチ。
やっぱり実力の差かね。
うだうだと時間を潰しつつ、大垣駅で軽めの昼食を購入した後、ついにハイモ295−617の運行時間に。
車両がホームに入る前から待ち伏せ
そしてついに…

あああああ!待ち望んでいた瞬間が!
ずっと会いたかったよ。・゚・(ノД`)・゚・。

ちなみに側面は広告になっております。
ラッピングが制服☆

一応、記念写真的な物も撮ってみたり。
車内では車両導入の過程が写真と共に公開されており、単に車両を受け継いだということではなく、人々の思いまでが受け継がれているというのが伝わってきて感激しました。






乗客が乗り込んできて、出発時間を迎えます。
エンジンが弄ってあるらしく、三木鉄道時代より速度が出ていました。
でも、のどかな田園地帯を走る光景は三木鉄道時代と変わらなかったです。
そして、連結する本巣駅へ。
三木鉄道時代にはなしえなかった連結なのですよ!
連結する車両がやってきて…

ドッキング☆

ちなみに、ハイモ295−617たんが受けです(ぉぃ)。

塗装の違う車両が連結されているのもいいですね。

ちなみに運転席。
運転手の了承を得て撮影しました。
運転席には入ってないですよ(^^;
と言うわけで、今回の旅の目的は終了。
無事に車両が運行されているのを見られて嬉しかったです。
今後、塗装が変わって面影も無くなってしまう事も有り得ますが、最後まで安全に乗客を運び続けることを祈っております。

『ワタシは言葉って 言えない
      だから こうして走っています』


三木鉄道跡では今、桜の花が満開を迎えています。

近況報告。


いつも車庫に入っていた車両が11日水曜からホームに止められたままになっている件について。
今日は見に行ってないので分からないのですが、昨日通った時はまだ止めたままになってました。
売却先が決まったとか言う話は聞かないのですが、どうなるんだろう。


愛知より来客があったので、市内観光にお連れしました。
と言っても、三木なんて車がなきゃ見に行ける場所は限られてるのですが。
で、金物資料館に行くついでに三木城趾を通ったので、私が好きな絶景ポイントに案内しました。
電車が鉄橋を通る時がたまんないんだなこれが!
もうちょっと高台から見下ろせる場所があるのですが、木が生い茂って写真を撮りにくいので、ちょっと低めの位置から撮影。

今日、御堂筋線に乗ったら、クリーム色に朱色と小豆色のラインの入った車両を見かけた。
御堂筋線にそんな車両あったかなと思って鉄ヲタさんに聞いたら、厳密には北大阪急行の車両だそうな。
一瞬、神鉄の5000系に見えなくもなかったw

そう言えば神鉄粟生線の11年振りの快速復活の件について。
粟生駅での乗り換えに余裕を持たせるとか言ってたから朝のことかと思って新開地駅で時刻表を貰ったら、何と18時から20時の間の30分に一本じゃないですか!
粟生行き快速の前に押部谷止まりが出ているとは言え、快速は西鈴を出たら押部谷までノンストップなので、神戸市西区住まいの人はプチ可哀相。

ミオクルカラ

それは、三木鉄道車両(ミキ300-105)が樽見鉄道へ旅だった日のこと。
12月9日。
前日、日付が変わる頃までコタツで寝てしまったせいか体調が悪く、昼までで早退。
帰り道に三木鉄道三木駅に寄ってみました。
すると、既に車体と台車が分離されており、車体は車道を走るための台車に乗せられ、線路を走るための台車がトレーラーに乗せられているところでした。

ちなみに昨日に引き続き、業者さんはこちら。

JR貨物・北陸ロジスティクスさんです。
JR貨物・北陸ロジスティクスさんです。
重要なので二回言いました。
一つ目を載せた後、続いてもう一つも載せてました。

特に立ち入り禁止などはされていなかったので、間近で作業を拝見させていただくことが出来ました。

念のため、自己防衛でヘルメットを被った上である程度は離れたところから見守らせていただきましたがね(^^;

よっこらしょっと。

クレーンに台車を結びつけて、トレーラーに載せて固定するまで10分もなかったです。
さすがはプロの仕事ですね。


つい数日前まで、ここには2台(+車庫の中に1台)いたのに…。

と思ったら、車庫に入っていた分を出すためか、もう1台も動かされてました。

この車体も本当に今日で見納め…。

本当にお疲れさまでした。
ちなみに台車を載せたトレーラーは一旦駅舎の前まで移動し、再度動かないようにしっかりと固定されてました。

写真を撮ってると、見物に来たおじさんが「趣味の世界かい?」と言ってきたのが面白かった(笑)。
ちなみにトレーラーには車両牽引ほど道路規制などがないので、この後台車は車両より先に出発することになります。

体調もヤバかったので、一旦ここで帰宅。
夜、夕飯を食べて再度来ることになります。
ちなみに夕食まで爆睡してたら体調は持ち直してました(笑)。


出発を待つミキ300-105。

この社章と車体番号も今日で見納めです。

出発は9時とのことでしたが、8時59分のバスが出た後、出発するとアナウンスが。
昨日はかなり出発が遅れたようですが、今回は長旅になるので遅れるわけにはいきません。
と言っても、中継基地を経ながら3日をかけて岐阜まで運ぶようですが。
時間が経つにつれ、人が増えてきました。
しかしながら、昨日のようにテレビ局や新聞社が取材に来ているわけではなく、三木鉄道の中の人と役所の職員、広報の方々と近隣住民という顔合わせでした。
私にとっては本当に遠くに行ってしまうと言う意味で、今日の方が重要だったんだけど…。
8時59分発の厄神行きのバスが発車し、発車を待ちわびていると、予定より少し遅れて先導車が発車し、車両が出発しました。
「ありがとう」「元気でね」「いってらっしゃい」「頑張ってね」。
昨日のようにテレビカメラが来ているわけでもなかったのに、見送る人たちの口からは自然とそのような言葉が発せられてました。
三木鉄道が本当に住民の方々に愛されていたのだと実感できました。
車両が三木駅を出ると、すぐさま原付で追跡モード。
市街地で速度が出せないことをいいことに、先回りして随所で写真を撮りました。
末広2丁目(ローソン三木店前)

バイパス大村中央(岡田金属工業所前)
西戸田

最後の写真なんてブレまくりでスマソorz
本当は追跡するのは三木市内までにしようと思ったんだけど、もうワンシャッターチャンスが欲しくて追跡してたものの、バイパスになると原付では追いつける限界を感じて、丁度信号待ちで引っかかったのが最後のチャンスだと思い先回りしてカメラを構えたものの、丁度動き出してこれが私がカメラに納めることが出来たミキ300-105の最後となりましたorz
段々と遠くなる車両に心の中で手を振りながら、その場を後にしました。

ちなみに3箇所でムービーを撮ったのですが、ケータイカメラなので一応見れる程度の物(+生の音声)にしかならなかったものの、容量制限のためアップすることが出来ませんorz
せ、せっかく撮ったのに…(>_<)
出発の時の住民の声とか、マジ感動ものなので是非とも皆さんにお見せしたいのですが…orz
ああ、やっぱりメモリーカードとそれを読み込むのを買わなきゃならんね。

ちなみに次の日はちゃんと仕事に行きましたよw

ついにこの日が来てしまいました。

仕事帰り、いつも通り三木鉄道三木駅の前を通過しようとしました。
すると、いつもと雰囲気が違う…。
まさかと思って確認したら、駅舎の前のトラックには線路を走るための台車(でいいのかな)が載せられ、自転車置き場になっている旧貨物ホームの方に行くと、土地が開けたあたりで車両が車道を走るための台車に乗せられていました。

ついに…この日が来たのか…。
原付のまま近づくと、作業中のおじさんが「ここ通るの?あ、写真?行って撮ってもええよ^^」と言ってくれたので有り難く撮らせていただきました。

近隣住民と思われる方が立ち話をしていたので、いつから作業が始まったのかと聞くと今日の朝からだそうです。
途中、三木鉄道の中の人らしき人が通りがかって、「移動は9時からやて」と声を掛けて行かれました。
暫く周囲を観察していると、杖をついたおばあさんが様子を見に来ました。
すぐそこにお住まいらしいです。
近隣住民に事前告知はあったのか、また車両の移動はいつ決まったのかと聞くと、2日の集会の段階ではまだ未定で、昨日回覧板が回ってきて8日に北条鉄道分、9日に樽見鉄道分が移動すると決定したそうです。
最初は輸送費を削減するために同日に移動するとか言ってたけど、たかが1両移動するためだけにこれだけたいそうなことをしなきゃならんのなら、1日じゃ無理だろうなと思った。
ちなみに、残りの1両は保存派と売却派で話が平行線のまま、まだどうするのか決まっていないそうです。
三木市の財政的に売却した方がいいのは分かってるけど、車両が1両もなくなってしまうのは思い出がある者にとっては辛いものもあります。
そのおばあさん、色々と話をしてくれました。
戦争の時、疎開先から神戸に戻る時、三木鉄道(当時は播丹鉄道だったと思われ)に乗ってここまで来て、神戸に帰ったこと。
その時は何とも思わなかったけど、結婚相手がここに住んでいて、三木に嫁いできたこと。
主人が学生時代、汽車の到着音で起き、急いで準備して駅まで向かっていたのにも関わらず、ある日起きたら到着音ではなく発車音で、仕方なく自転車で加古川まで行ったこと。
昔は車もあまり走っておらず、加古川への道もあまり整備されていなかったこと。
新婚旅行は三木鉄道などを乗り継いで旅行先まで行ったこと。
北海道に住んでいる孫が来た時、地下鉄にしか乗ったことないからと三木鉄道に乗せてあげたら、孫が「これ、すごい揺れる」と運転手の真後ろで言ったこと。
色々思い出話を聞かせて下さった後、「それじゃあ夕飯の支度している最中やったから」とご自宅に戻られました。
取り敢えずまだ移動まで時間があったので家に帰って夕飯食べてまた来ようと思ったら、寝てしまって起きたら12時過ぎでしたorz
これ、三木鉄道最終日の二の舞やんorz
私って三木鉄道に縁がないのかな…。

たくさんの人だけでなく、たくさんの人の夢や希望、思い出を運んだ三木鉄道
NHK杯放送コンテスト東播地区予選の帰り、最後の大会にして初めて賞を貰えた嬉しさに涙が零れ、三木鉄道に乗ってる最中にも嬉し涙が止まらなかったあの日とのことを私は今でも忘れない。
ありがとう、さようなら。
そして新天地でも多くの人を運び、思い出の中に刻まれることを私は祈っております。

夢は願えば叶うんだって。

北条鉄道廃線三木鉄道車両を購入 きょう両社が契約 /兵庫
ttp://mainichi.jp/area/hyogo/news/20081030ddlk28020485000c.html

まだ売却先の決まっていなかった車両のうち一両を北条鉄道が購入することが決定したようです。
売却されると決まった時から北条鉄道が購入してくれたらなと思いつつ、なかなか売却先が決まらなかったのですが、ついに北条鉄道が購入することが正式決定。
輸送費などのことを考えると妥当でしょう。
しかも、『北条鉄道では「購入後も車両の外装を変えずに運行する」との案も出ており』だとな。
と言うことは、北条鉄道で走る三木鉄道を拝めるということですか。
それは是非とも期待したいものです。
車両の購入費用や輸送費用を補助するのが大変そうですが、加西市には頑張っていただきたいです。

ずっと、あなたを待ってたんだから…。


神戸電鉄6000系Taaaan!!!
やっと、やっと、やっと、神鉄6000系に乗ることが出来ました(><)
ずっとすれ違いばかりで見ているだけだった6000系
念願のご乗車です。
今までの車両と違い、かなりハイテクになってました。
内装は阪急9000系とほぼ同じでした(だって川重だし)。

車内案内表示では、右モニターで行き先案内、左モニターで沿線の観光案内をしてました。
今までの車両に比べたら揺れが少なくて快適、と聞いていましたが、乗り心地はそんなに大差ないような気がしました。
強いて言うなら、ママンも言ってたけど、座席が今までのに比べると座り心地が固いような気がしました。
まあ、あの揺れこそが神鉄クオリティだしね!
揺れを楽しんでナンボだと思うのですよ。
でも、扉の開閉音は何だか違和感を感じました。
こんなの…神鉄じゃない…って。
アナログでこそ神鉄クオリティだと思うのです。
と言うわけで、私が一番好きな神鉄の車両は2扉で内装が緑色の1100系だったりします。